学べ!ポンコツ!

20代前半のうちに "考える" クセ付けとこう

なぜ歯磨き粉を使うの?

プルデンシャルの生命保険に契約しているんだけど、

僕のライフプランナーから

 

「なぜ歯磨き粉を使うの?」

 

と、質問された

 

え、なぜ??使うもんでしょ!

と思いつつ、理由を口にだしてみてた

 

「虫歯になりたくないから」

 

「あ、そうなんだ。なんで?」

 

 

なんで??当たり前じゃん!笑

けど、さらに言葉にしてみる

 

「歯が痛くなりたくないから」

 

「そうなんだ!つまり、根本は、痛いのがいや、ということなんだね」

 

 

ここまで言われて、

なるほど!って思った

 

実際、歯磨き粉には、

幾つも種類がある

 

僕は勝手に「虫歯予防」のためと思っていたけど、

 

・口臭予防

・ホワイトニング

歯垢プラーク)の付着を防止

・知覚過敏の予防

 

いろんな効果効能があったみたい

 

 

 

 

「なんで?」

 

という質問に困るのは、

当たり前すぎて、理由無いと思い込んでるから

 

けど、そこには理由がある

 

「なんで?」で、無理やり言葉にしてみると、

いかに自分が無意識にコントロールされてるか、

狭められてるかが、わかるかもしれない

 

 

これが「ニードを引き出す」ということで、

ここからは営業力の話

 

自分の気が付かなかったニードを引き出してくれた場合、

その人からちょっと高くても、

虫歯に効く歯磨き粉を勧められたとしたら、僕は買ってる気がする

 

 

いろいろ知識を授けてくれた人を信頼して、

金を出すことは、全然ありえる動きかなと

なぜ人の成長を「嬉しい」と感じれるのか?

ふとしたことだけど

 

日曜の夜に僕の実家メンバーとご飯に行きたいね、となり、

僕と嫁ちゃんもいこうよ、となった

 

ただ、嫁ちゃんはちょうどそこに仕事が被っていたので、

諦めていたとこだったんだけど、

 

職場に対して、

「日曜の夜はお客さんがこないので、午前に営業時間をずらしたほうがいいと思います!」

(※ 実際そうみたい)

 

って、嫁ちゃんが

うまく立ち回って、都合の良いように休みを調整してるのを見て、

自然と口角があがって、ニヤニヤしてしまった

 

「おー!いいねー!!!やるやん!

失礼だけど、そんなに器用だったっけ!?」

みたいな。笑

 

 

そこで、ふと

 

「なぜ人の成長が嬉しいのか?」

って思った

 

 

なぜ人の成長を「嬉しい」と感じれるのか?

 

考えてみたんだけど、やっぱり、

「感情移入できるから」なのかなと思う

 

 

つまり、その人の頑張りを知っていて(想像できて)

できないことができるようになって

「よくやった!!!」

って心の底から思えるから、なのかなって思う

 

(どこまで子孫を残すため、という無意識な本能が働いているのかは不明。

それで説明がつかない例もあるから、一旦無視)

 

 

これは1からストーリーを知らずとも

なんとなく同じような経験をしてたりすると、

感情移入しちゃって、感動できたりする

 

例えば「高校野球の甲子園」

これも、野球が好き、という以外に、

別のスポーツや何かだったとしても、

学生の時に頑張った経験があれば、観てるこちらも熱くなれたりする

 

 

 

感情移入するためには「条件」がある

 

でも、そう思えるには、

ある程度の条件が必要だと思っている

 

でないと、だれでもなんでもかんでも、

嬉しいな!と思えるはずだから

そんなことはない

 

 

僕が思うのは、

「自分が満たされている」こと

 

具体的には、

・自分が頑張った経験がある

・同じような経験をしている(つまり、行動している)

・人を認められるココロの余裕がある

・自分で自分を承認してあげられる

など、

 

同じようなことを言ってるが、

つまりこういう事な気がしている

 

人に「よくやった!!!」って、

胸張って自分が言えるか?

 

そうでないなら、僕は負い目を感じる

(性格かな)

 

頑張れば頑張るほど、この幅は広がっていくんじゃないかな

「好き」は才能

 

岡田斗司夫さんのYouTubeをみて

残しておきたくて残す

 

よく

「好き」って才能だよね〜

って、聞いてて、

 

「好き」なことをしているやつは、

内側の欲望を原動力に、飽きずに時間をそれに使えるから、伸びる

伸びるから、それがまわりよりできるから「才能」だと言うのかと思っていた

 

ま、それもあると思うが、

動画で、岡田さんがこう言っていた

 

 

自分の興味がないものへは、「好き」という感情がわかない

好き嫌い以前に、「良さがわからん」という感じ

 

逆に、興味があるものへは、「好き」等の嗜好がでてくる

 

つまり、ひっくり返して

「好き」とは、それの「良さがわかる」ということ

 

 

 

好きなものに対しては、

他の人にはわからない良さを、自分は感じることができる

だから「好き」は「才能」だと

 

 

なるほど

もっかいひっくり返して

 

 

「好き」だと思っていないことは

「その分野に才能がない」ということだね

 

これが仕事に関係しているかは、また別の話だけど

生き方において、才能があるものに向いているほうが幸せそう

「好き」は才能

 

岡田斗司夫さんのYouTubeをみて

残しておきたくて残す

 

よく

「好き」って才能だよね〜

って、聞いてて、

 

「好き」なことをしているやつは、

内側の欲望を原動力に、飽きずに時間をそれに使えるから、伸びる

伸びるから、それがまわりよりできるから「才能」だと言うのかと思っていた

 

ま、それもあると思うが、

動画で、岡田さんがこう言っていた

 

 

自分の興味がないものへは、「好き」という感情がわかない

好き嫌い以前に、「良さがわからん」という感じ

 

逆に、興味があるものへは、「好き」等の嗜好がでてくる

 

つまり、ひっくり返して

「好き」とは、それの「良さがわかる」ということ

 

 

 

好きなものに対しては、

他の人にはわからない良さを、自分は感じることができる

だから「好き」は「才能」だと

 

 

なるほど

もっかいひっくり返して

 

 

「好き」だと思っていないことは

「その分野に才能がない」ということだね

 

これが仕事に関係しているかは、また別の話だけど

生き方において、才能があるものに向いているほうが幸せそう

ドッと疲れを感じた理由

ここ2週間!

いやーー久しぶりに疲労を感じる2週間だった。

 

 

疲労にもいくつかある。

 

・朝6時に起きて、カンカン照りの下でサーフィンをする

・深夜2時まで座りっぱなしで働く

 

とか、体力的な面での疲労はある。

 

けど、ここ2週間の疲労は、

上の体力面に加え、

もっと心的なものが要因だったと思う。

 

 

仕事で僕は普段、営業をしており、

(この役割が、ある意味非常に狭いもんだ、ということも実感できたんだけど)

 

・クライアントやパートナーとの窓口(朝から深夜まで基本即レスが身についている)

・定例の資料作成

MTG調整

ヒアリング~ディレクション

・会食

まあ、”やること” でいえばたくさん。

 

 

上の量は多くても、

ちょっと慣れてきてもいて、

先の見通しもたつ、というかそんなかんじだったんだけど、

 

このたび、もっと上流の「ストプラ」領域を真剣に向き合う必要がでてくる状況に直面した。

(厳密には、本当のストプラなんて、こんなもんじゃないんだろうけど)

 

いままでにやったことがない、

かつ、社内に頼れる人もいない、知識もいまから0から学ばねば!

けど、1,2週間後に提案が差し迫っている…!

 

そんな状況だった。

 

 

まずは本やネットで勉強してみる。

けど、もちろんそのクライアントにひったりあう本なんてなく、

自分でそれらの知識を応用して、施策に落とし込まねばならない。

 

そんな中でも、もちろん他の仕事はまってくれないもんだから、

大量の「営業」の仕事を日中はするわけで。

 

全然「ストプラ」の領域にがっちりと時間を使えるタイミングはこず、

いや、きてたとしても、きっと方針がしっかりは出せていなかったとも思う。

 

 

 

そんな感じで、

結局提案を数日前に1週間先延ばしにさせてもらったり、

連日提案をつめる作業で深夜までつめ、

自分の明確な回答がもてないので、MTGの時間を浪費してしまったり…

 

このあたりが、かーーーーなり疲れた。

 

予想以上に疲れた。

 

1年目にコテンパンにやられたおかげで、ストレスには強いので、

諦めるとかはないんだけど、

 

腕に蕁麻疹ができていて、

「ほほー」ってなっている。笑

汗疹かもしれない。

 

 

 

ココからの学びは、以下

 

・自分の仕事は狭い

・こんな多忙な環境で、結局こういうことでもないと自分の世界の狭さに気が付けない

・気がつけたら、これをこのタイミングだけのものにしないで、勉強し今度おなじようなタイミングで、「疲れない」ようにする

 

ということだ。

 

僕はジェネラリスト的な思考で、

できないことが嫌だと感じる。

 

ちょうどいい性格をしている。

 

疲れを感じながら、いっこいっこやっていくしかない。

 

いやむしろ、

疲れを感じる仕事をいまのうちしてかないと。

 

 

2023.09.01

 

 

ちなみに、この疲れって、

 

やりたいこともない中で、ただただ、

知らない人の中で気を遣いながら飲む

 

疲れと似てるかも。

「愛」で生きること

オーディション番組『0年0組』 を見たところから

 

なんか面白くて、一通りみて。

Ray君すごいな、解釈力が深い、その怠らない努力の姿勢が響いた

 

どーっと見た翌日、

A組のオーディション課題『Seasons Of Love』がなぜかもう一回聴きたくなって見返した

 

色んな課題があるなかで、上は最終課題ではなくて、

途中のものだったけど、それでも個人的には最高に心に残った

 

アーティストでもない限り、大抵はカラオケとかに行ったら

ただその歌詞を、そのメロディーを模倣して歌って楽しむ、だと思う

お歌ごっこ、というか。(決して悪いことじゃない)

 

ただ、アーティストは、本来

なにかを伝えたくて、言葉じゃ伝わらないなにかを伝えたくて、

歌というモノの力を使う

 

だから、番組の中で、

その曲を解釈して、彼らなりに歌っていたその歌が

本当に「生きている意味を抱きしめて」いた瞬間だったんじゃないかと、

そういうパワーが、僕には感じられた(伝わった?)シーンだった

 

www.youtube.com

 

なんか、ここから いろんな人の歌う

『Seasons Of Love』に飛んだり、

そこからさらにアカペラYouTuberに飛んだりして、

いろんな曲を聞いてて

 

さらには、なぜか

芸人の天狗が、結婚式でやっている漫才

が見たくなって、それを見てたりした

 

 

ダンサーはダンスで

アーティストは歌で

芸人は漫才で

それぞれの形があるけども

 

「愛」を判断基準に生きていくのがいいかもしれない

 

情報やコンテンツが溢れすぎて、

一人ひとり、考えられることも多くなって、

判断基準は多くなりすぎているけど

 

やっぱり、「愛」を数えて

「愛」で生きていくのがいいかもしれない

 

その伝えたいことも、

泣きたいことも、怒りも全て、

根底に「愛」があるから

 

「愛」は使えば使うほど増え、集まってくるモノかもしれない。