初めてギターを弾いてから10年経ちます。一人暮らしの小さなワンルームにもギターは必須で置くくらい音楽が好きです。
色んな音楽を聞きますが ”カバー曲” を好んで聞きます。「本家じゃないとイヤ!」って結構聞きますが、僕は探しにいって聞くくらいです。
ハモネプとか歌ウマ選手権とかもつい見ちゃう。
「なんでだろう」って考えたこともなかったのですが、「そういうことか?」って思ったので書きます。
音楽に限らず、小説、映画、料理、絵画、ゲーム、スマホアプリ、TV番組も、人の創造したものには全て、その創造者の意図が色濃く反映されています。
音楽で言うなら最後のサビで半音上げたのはなぜか、そこでコーラスをかぶせるのはなんでか。もちろん、ただきれいに聞こえるから、だけではないはずです。
映画で言うなら、あえて物語の結末から見せそこまでのストーリーを追っていく構成作りや、ここで緊張感のあるBGMを使う!など。
ハッとさせられた時には、すでにその作り手の思いのままなわけです。
似たようなことで、
マジ歌手とカラオケにいった際に、「歌詞をしっかり理解しないと歌えない」と言っていました。
何を伝えたいのかを把握していないと、歌の表現の仕方もわからないから、だそうです。
「カラオケにそこまで!」と驚きましたが、最近は理解できないことでもないなと思っています。
カバー曲に惹かれるのも、ここかなとふと思ったわけです。
同じ曲でも、同じ歌詞でも、歌い手によって伝え方が異なれば伝わる内容も異なります。
ここが楽しいんだと思います。
「この人ならこの曲をどう歌うのか」「ここをそんな風に歌うのか!」とか思いながら聞いています。
ときには、本家よりも好きになる曲もあるくらいです。
そして創造者にはそれをそう歌っただけの理由があります。その意図を、心を汲み取ることで創造者に触れることができます。
創造者はなにも特別な力を持っているわけではないです。
個人の思っていることを発信すれば、その全員が創造者です。