日記的に端的に書く。
GWで伊豆下田に旅行にいって、まあまあいいホテルに泊まった。
風呂上がり、部屋に戻ろうとエレベーターに向かうと、
65~70歳くらい、165cmくらい(少し猫背だったからもうちょい高かったのかもしれない)、恰幅のいいおじいさんが一人、先にエレベーターを待っていた。
僕の部屋は6Fだった。
エレベーターに先に乗ったおじいさんが4Fのボタンを押した後、僕に
「何階ですか?」
しわがれた声でボソっと言った。
すでに手を伸ばしていたので、
「6Fです、ありがとうございます」と言って、
自分でボタンを押す。
4Fにつき、猫背でトボトボとエレベーターをおりていく姿を見送った。
これから非常に勝手なことを想うし、ここに書くが、
こうはなりたくないな
と、なんとなく、結構想った。
このおじいさんの僕の脳内ペルソナだけど、
こないだ退職して、時間を持て余している、GWだし家族でどこかにいこうかなとなり、とりあえず下田へ。なんとなくきれいな景色を見て、なんとなく美味しいごはんを食べて...
やーー。きつい。
あのおじいさんがどうとかは、俺の勝手な妄想なので、もういいけど、
自分の老後は、その「なんとなく」の惰性で生きては行けないと想った。
このポイントは「ワクワク」「ドキドキ」だと想う。
年を取るにつれて、知識もふえ、予想もできる範囲が増えていく。
自分だけの世界で生きるには、100年は永いと想う。
老後も、なにかにワクワクして生きていきたい。
- 人間は自分の考えたようになる - 釈迦
「ワクワク生きる」って本書こうかな。
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追記
他人の人生観も覗き見たいと想って、自伝とかを探している時に、
「価値観かわるよ」みたいな文脈で、
『限りなく透明に近いブルー』が出てきた。
芥川賞もとってる作品とのことだったけど、本当にわからないし、永遠と何を見せられてるんだ?と、つまらなくて半分くらいで読むのを止めてしまった。
最後まで見ないで、何を言う!みたいな意見は、いらなくて、
直感が、大体ただしい。(だって、そう思い込むから、自分の中ではそうなる)
多くの人に指示されているから。あの人が言ったから。とか、
自分が見えないものを教えてくれる、判断材料の一つにはなるが、
自分以外の基準で、自分の判断を決めてしまうのは、やめよう。
わからんもんは、わからんなあ
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