「本気で生きる」ということ
昨日、BS日テレで放送していた『現役歌王JAPAN』のアーカイブをYouTubeでたまたま見て、shin と言うアーティストが歌っていた『エイリアンズ』に、すごく感動した。
歌声も、歌い方も、ビジュアルも含めて、すっと見入って聴き入ってしまった。ここ1年くらい?で1番この人うま!!って思った。
僕は、歌い手について、ただうまいだけじゃやっぱり伝わらないものがあると思ってる。大事なのはそこにどれだけ伝えたいことがあるか?だと考える。
これは全部そうだと思っていて、
・伝えたい想いがある写真と、なんか適当に撮った写真は、伝わり方が違うと思う
・伝えたい想いがある結婚式は感動する。そうじゃない結婚式っていうのは、それっぽくすぎる気がする
...
人生は、こちら受け手側に解釈を要求するので、これは一切真理でもなんでもない。僕が一方的にそう思っているだけだ。
そもそも、真理なんてそんなものはない。あるのは、ただその歌、写真、式、というような事実だけ。でも、それでいい。自分が思っていて、まわりの人とそんな感情が共有できて、まわりも共感してくれたりして。それでいい。
僕の考えは、なぜそれをしたいか?それを通して何を伝えたいか?が重要である、という感じ。
shinさんのインスタをみてみると、その歌にこもった感情や、意味合いが書かれていて、僕はなんだか嬉しかったし、さらに感情移入できた。そういったものがすべて集約されて、本気で歌に向き合ってるんだろうなと思った。
そこから、森山直太朗さんの『生きてることが辛いなら』が突然聴きたくなり、玉置浩二さんが聴きたくなり、ミスチル桜井さんを聴いた。
みんなむっちゃ本気でうたってた。(と思う、そう見えた)
とかく、感動した。
その歌に込めた想いというか、言葉を大事にしているというか、とにかくただ歌ってるんじゃない。その歌を大事に歌っている。その時間を大事に過ごしている。で、泣けてきた。
何事も、本気で生きると気づくものがあって。どんなシーンでも、それは結構ある。
もう意識もしてないが、僕らは普段はなんとなくのイメージで生きちゃってる。悪いことじゃない。これは生きるすべだ。
晴れた空の色を「青色」と見てる。木に生えている葉っぱを「緑色」と見てる。
緑茶の味はあんな味だし、海の磯の匂いはあんな匂いだ。
そして、それ以上は感じない。
違う。
よく見てみれば、それは「その色」だ。
青は一色じゃなくて、薄い青も、濃い青も、淡い青も、グレーっぽい青も。
木には、緑以外にも、薄い緑とか濃い緑以外にも、赤も黄色も。
子どもが絵を書いていたとして、木を緑色以外の色で書いてたとして、それを注意する人にはなりたくない。むしろしっかり褒めてあげられる人になりたい。その子はあなた以上に、世界を「見」ている。
こんなこといちいち考えていたら疲れるでしょう。だから生きるすべとして、イメージのフィルターを無意識に通すようにした。でも、これをいちいちしてると、発見がすごいあるよ。
そして僕のなかで、本気で生きることに、ありのままを感じることは、含まれている。だから色々なシーンで、特に自分が大切なシーンでこれは意識的にやる。
何事も本気で取り組むと、気付きがたくさんある。気づきがない場合、それは停滞で、本気で生きてない。これは悪いことじゃない。ただそうなだけ。
でも、本気で生きた時に、人生の面白さを発見しやすいし、そこの領域にたどり着くのは早いと体感している。
そのKWは「愛」かもしれない。
ぱっと、そこまで早くたどり着けるか?が今後の肝になるかも。
「絶対無理!!!」 を、やってみる
こないだの週末、とあるセミナーを受けてて、「絶対無理!!!」 と心の底から思うようなことにトライしてきました。

このセミナーはコミュニケーションを磨く内容で、コミュニケーションに関する色々な考え方を学ぶのですが、
なにより、これが “実践” で進行していくセミナーであったことが、めちゃくちゃ辛く、そしてためになるセミナーでした。
学びのハイライトを、3つ、以下に記載。
① 自分は「閉じた観点」で世界を見てしまっている
・自分の過去の経験から獲得してしまった、ネガティブな感じの「閉じた観点」があり、「自分」「世界」はこういうもんだ、ということを決めつけている。未来はなにも決まってないのに、断定している。かつ、それが悪いことだったとしても、そうなるように、自分から答え合わせをしにいっている(で「ほらね、やっぱりそうだ」って強固にしてく)
・本当に、偏見(その自分で信じ込んでる観点)をなくし、なにもないところから話をきくと、全く違うように聞こえてくる。そして、そこから「愛」を感じてくる
・ちなみに、俺は「重要じゃない」という生き方をしていそう。おれは重要じゃないので、色んな人にとっての重要な生き方をしたいのかも!(俺が重要であることを実感できるチャンスだから)。そして、これは、新卒のときの出来事が、そうさせていると思われる
② 気がかりを残して進んでいくと、それは悪く広がっていく
・どんなに些細なことでも、無意識のうちに関係性を悪化させる可能性がある。
例え話
・同僚に、1,000円わたして、コンビニでご飯かってきてもらった
・その同僚が購入したのは900円分で、特になにも言わずにおつりの100円はかえしてくれなかった
・でも、買ってきてもらってるし、小さいやつって思われるかもとおもって「100円かえして」って言えなかった
・同僚の顔みると思い出して、でもそれを言えない。翌日も覚えているけど、言わない
・で、そのうち忘れていく
・と、無意識にも、その人の悪いところが目につく用になってきちゃう。仲良しだったのが、どんどん嫌になってくる
みたいな。
・解決方法として、いいたいことを全部ぶちまける、じゃなく、そのときにそれを言えなかった自分の本物をさらけ出す。「小さく思われるのが嫌で、へいきなフリしてたんだけど」とか「俺が正しい、お前は間違っているから直したほうがいいと思ってたんだけど」とか、「愛」「親しさ」が損なわれているシーンを伝える。そして、本当に思っていた本心からコミュニケーションして、その事象に完了をつくる。
③ 避けるでは、つながりを切れない
・「あの人と仲直りをしなくていいや、どうせもう合わないし」と思うような、"人生から削除した人" がいるか?
・僕は6,7年コミュニケーションをとっていない先輩がいた。今後人生で関わらないから、削除のままでいいし、避けて通れば、生きていけるからと思っていた。が、「人生で削除した人って誰だろうな?」「人生で二度と口をきかない!と決めた人って誰だろうな?」と考えた時に、人がでてくるなら、その人は、その時点で自分の人生から “避けて通れていない“。むしろ、荷物として背負って生きていることに気がつきたい。
・その人と似たような人がでてくると、その人が復活するということが永遠に続き、いま逃れようとしたところで、一生ついてまわる。その人が、自分の人生に影響を与えていることをつかみ、過去のそれを完了することが大切。そこから自分の「閉じた観点」が開いていく。
↑↑↑
という感じで… 考え方としても、学びがありました。とても良かった。
その上で、実践ですが、僕の「絶対無理!!!」は、その6,7年話してなかった先輩と会話すること。
「人生で削除した人は誰?」というところから、話すんだろうな、と薄々感じていたので、その人の名前すら出したくなかったし、「直接、むしろ僕から話かけにいくなんて、まーじ無理」と思ってました。
で、そのことをコーチに話したところ、「もう、電話のボタンおすだけです!」と言われ。
僕「〇〇さんも、これ電話しました?」
コーチ「やったやった、電話したよ。まじやだったけど、電話して、その後はポンポン完了つくっていけたよ。」
あ〜、この人も通ってきたのか。無理ってまじで思ったけど、俺もやったるか〜。という感じで、「やったろ」って心にきめました。
ちょっと話はそれるけど、「絶対無理!!!」と思うことに対して、僕が行動できた要因は、
こんなところな気がする
① 他の人もできている(俺にもできないわけなくない?とか、ゲーム感覚、競争感覚)
② お金を払ってる(こっちも身銭をきってる、最大活用しないともったいない)
③ 俺は重要じゃない(えいやってやってみな。望まない結果でも、どうせみんなすぐ忘れるよ)
ということで、日曜の昼間、6,7年コミュニケーションとってなかった先輩に電話をするという。
で、やってみて。感想。
「意外にできる」
と、いうか。
「普通にできる」
なにに「絶対無理!!!」と感じていたのかわからないくらい、普通にできました。電話で話してて、本音を話して、鳥肌もたちっぱなしで、もちろん緊張するんですが、それは当たり前の反応として。
その電話で、「やなやつ」って思っていた、その先輩の「愛」にあふれる様子も、すごく見えましたし、これが「閉じた観点」から開かれた瞬間の実感でした。
よく言う、「自分で自分の枠をつくってる」みたいなこと。これは、頭ではなんとなく理解できると思うけど、やってみるのはまじ別物で、やってみたら他のことにも限界を作らず、やれる気がしてくる。
副産物的に、
・ランニングも、いつもはここでUターンするところを、さらに2倍の距離走ってみた
・腕立ても連続50くらいで止めていたのに、100やってみたらできた
→ 「絶対無理!!!」を乗り越えた俺、できるっしょ。ってやってみて、できた。
まとめると、
・自分のなかで現実と思うような「閉じた観点」は、普通にぶっこわせる。認識して不利益なら「完了つくって」壊す
・ 「絶対無理!!!」 を乗り越えていくことが、自分のアップデートに繋がり続ける
という感じ。
2025.07.23
なぜ、モノに高い金を払うのか?
前提に、金は、そのもの自体を買っているわけではなく、
その商品を作るまでの労力を買っている
※ from『きみのお金は誰のため: ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」』
スタバで人気のマンゴーパッションティーフラペチーノなら、
マンゴー(orマンゴージュース)、氷、お茶等の原料をそれぞれ用意し、
ミキサーを用意し、適量いれたのちミックスして、カップにいれて…
という工程全てを、お金を出して、他の人にやってもらっている、ということ
今回のテーマは「洋服」で、これにも同じことが言える
ただ、ここにはわかりやすく、「リテラシー」の領域が存在する
ということについて考えていきたい
同じ用に考えてみると、
洋服は、自分でやろうとしたら、
作る工程がかーーーなり大変
遡ろうと思えば、布の材料である糸、さらには、
糸を作る綿や麻などなど、繊維を考えると、気が遠くなる工程が存在する
布があったとして、洋服の形まで加工するだけでも、
布の最適サイズでの裁断から、繊細なミシン捌き扱い、素人には大変すぎ
これがファストファッションによる大量生産のおかげで、
1000円台で、本当にしっかりしたTシャツが買えちゃったりする時代だ
これで生涯を終える人も全然いるんだろうなと思えるほど
これはこれで全く問題がない
では、世の中には
なぜ数十万、それ以上もするような高い服が存在するか?
もちろん、需要と供給の世界
それを買いたいと思う人が存在するからだ
貴族のために存在してきたブランドも有るが、
歴史的な話は一旦おいておく
数万円であれば、
ただかっこいいから、とか、有名ブランドだからって買う人もいると思うけど、
さすがに数十万となると、ノリで買える人も減ってくるだろう
ここには、本質的な意味合いを理解して(意味合いを創って、納得して)
購入している人がいる
先ほどのお金の本質でいうと、
モノが手にはいるまでの工程を金で買っているが、
洋服は、その服が作られるまでの「歴史」にも一緒にお金を支払っていると思う
いい素材を使っている以外にも、
通常の洋服から、どこかを特徴的に崩していたりと、
数多の知識をつめこんで、完成に至ったその服、という歴史を買いたくて、
高いお金を支払っている人がいる
それは、
ブランディング的な側面もあるだろうし、
そのブランドへの敬意という側面もあると思う
ここにお金を支払えるか?
ここがリテラシーの領域だと思っている
ただ、個人的におもろいのは、
リテラシーがあっても、なくても、
それを着ていれば、ぱっと見は同じということ
かつ、そこの背景を知っていて、その人をみるか
歴史を知らない人が見るかによっても、捉えられ方も違う
そう考えていくと、究極つまるところ
人にどう思われるかは関係ないと言い切って、
自己満足できているものにお金を使うことが幸せではなかろうか
「好き」にお金を使うのが一番いいのだろうな
・その商品自体、ブランドの背景が好き
・それを買って、得られる環境が好き
・それを買って喜ぶ誰かの姿が好き
・それを買ってる自分が好き
etc...
「好きだから」
が、高い金を支払う最小単位なのかもしれない
いつかくる親との別れの前に
そんな本を読んでて、書き残しておきたくなった。
今読んでる本が、
『40代にとって大切な17のこと』で、
20、30と読んで、いま40。
なにかやり残しがないように、あとは、
一般的に、この年代で何を思うのか、何が大切なのか、
先回りしたくなって、読んでる。
(先回りが、好きな人生のようで)
両親の子供への想いは、しっかり言葉で聴いているし、
動画にも残して、世に公開までしている。
これはやってよかったと思うことの一つ。
愛されていることがわかっていても、
それをしっかり言葉にしてもらうこと、とか、
そのニュアンスは、聴いていて面白かった。
逆に。
自分から、両親にしっかり言葉で想いを伝えたこと、というのは、
結婚式くらいかなと思う。
結構会っているが、普段から特別想いを言葉で伝えるようなことは
していない。
結婚式に伝えたことは、今は記憶にはっきりと残っているけど、
いつまでこれを意識しているか、わからなかったので、
ここに残しておく。
(既に伝えていること)
父へ
まず、
僕のこの名前をくれたことに、一番感謝している。
生まれる前から、そりゃたくさん色々な積み上げのもとに成り立っているのはそうなんだけど、
「名前」は、子供への一番最初のプレゼントだと思う。
僕はこのプレゼントに、最高のものをもらったと実感している。
珍しい名前で、みんな覚えてくれるし、
苗字っぽくて、下の名前で読んでくれるので、最初っから親しげになるし。笑
僕は自分の名前が大好きだ。
「いい名前ですね」と言われれば、
「そうですよね!僕もそう思います」と返している。
苦笑いされることもあるが、
もらったものなので、自画自賛の感覚で発してない。
死ぬまでずっとこの名前なわけで、
人からもらったもので、ここまで使うものも中々ないだろう。
僕も子供には、最高のプレゼントをしてあげたい。
あとは、見守り力、というか。
人生、30年も先に生きていれば、先がみえて、
そりゃ色々いいたいこともあるだろうが、
特に「勉強しなさい!」とか「あれこれしなさい!」 と言われた記憶がない。
後で話をきいてみれば、父もそういうふうに育てられたから、だというが、
僕はこの感じが良かった。
失敗もなんでも、色々と自発的に経験できたし、
それ故の学びもたくさんある。
言わずもがな、その経験の背景には、父の存在は必須なもので。
そういうどっしりとした漢に、
俺もならねばなと
そういういい背中が、眼の前にあって、良かった
ありがとう!
母へ
自分の親と似たような人を好きになるというが、
僕はそれだ
母は、元気でボーイッシュ、素直で思ったことは顔にでる
叱ったあとも引きずらない、さっぱりした性格です
根っこから明るくて、優しく、化粧もせず、
子供の友人からも、名前で呼ばれちゃうような、
フレンドリーな、そんな方
最高だわな
一緒に過ごしていくことで、
僕は、そんなタイプの人と過ごすことに
居心地の良さを感じるようになっている
そのように育ててもらったことは、
母も意図していない、天然の教育というか
こうなってみると、
家庭環境って、本当に心底重要なもんだな
心とか考え方とか、そうそう変わらんぞ
いままで、いろんな人と出会ってきたが、
その中でも、「この人は素敵だ!!」というアンテナは、
後天的な経験で培われるもの以上に、先天的なタイプが大きいように思える
母の影響で、僕は最高な女性と結婚ができている
そのおかげで、今後の一生涯を楽しく過ごしていける
父が最初のプレゼントをくれたとすると、
母は最後までのプレゼントをくれた
ありがとう
これをプレゼントと感じるか、何も感じないか、
はたまた、負の遺産と感じるかは、人それぞれと思うが、
プレゼントと感じてもらえるように、我が子には引き継いでいきたいものだ
2024.08.18
100km ウォーキングチャレンジ
相方と100km ウォーキングチャレンジをしてきた
ここ10年くらいで、
ここまで体力的にも、身体的にも限界を体感したことはなかった気がする(たぶん)
そんな特殊な状況下で、
感じたことをいくつか書き残しておく

■ ツールの進化はエグい
現代じゃ当たり前すぎて、本当に空気のように扱っているが
先代が、月日をかけて積み上げてきた、ツールの進化はまじで、まじで半端ない
特に、「衣食住」「インフラ」
つまり我々の生命にダイレクトに関係するものへの進化はすごかった
これらは、現代では、生まれた時から当たり前になっているが、
自分のテリトリーがら一歩外に出てしまえば、
一瞬でこの辺りの快適は崩れ去る可能性がある
いくつか、具体的なものも書いておく
① 移動手段
まずはここから
後半、足が重くて、痛くて全然動かなかった時に、特に思ったこと
10kmあるくのに、本当に5,6時間かかる(元気でも2,3時間)
満身創痍な状況で、この時間を考えると、本当にきつい
まじで足が全然進まない
これがだ
電車にのれば、10km程度なら、6,7分でついてしまう
しかもその電車は、
ふわふわしたクッション性の高い椅子が用意されていて、
車内も適温で…
あと、本当に意識していなかったけど、これの費用
なんと、200円払ってお釣りが来るレベル!笑
現代、やばすぎた
さらに、その電車の10倍の速度をだす飛行機とかもある
現代、エグいって
② 道路
舗装されている道路を歩くことの安心感たるや…
安心感、というのは大きく2つ
・安全に移動ができている
・行き先に向かって歩けてている
だ
今回は、真鶴から都内に向かって歩いた旅だった
冒頭の真鶴から小田原くらいまで15kmほど
その間、歩道/車道という堺のない道が多かった
これは結構つらく、横から草木がはみ出しているので、
それを避けながら、かつ、避けすぎると車にぶつかるので、
そこも注意しながらあるく大変さ
疲れてくると、毎回後ろから車がくる?とかも振り返りたくなくなってくる
しっかり歩行者があるける歩道があることは、
安心して歩ける超大事な道だった
もう一つの、
「行き先に向かって歩けてている」も、
山道とか、いきたい方向に歩いているのか、まじわからん
まじでわからん笑
GoogleMapをみて歩いたが、このサービスもまじで画期的というか、
もうマストツールよね
ありがとうGoogleさん
スマホを出すのも億劫になってくるから、
この道をただ歩いていけば、行き先にたどり着く、ということが保証されている
国道などは本当に今回はありがたかった
ありがとう国道1号
③ 家(お風呂にベッド…)
必要不可欠すぎて、昔から発展してきた家
どれだけ貧困でも、ボロくても、かえる場所はある
外と内の仕切りがある
今回は宿を取っていなかったので、
結果的には野宿の旅だった
7月なので、夜はちょっと寒かったけど、寝れる
体力が限界すぎて、まじで全然その辺の道路でも寝れるレベル
ただ、芝生を探して、野宿をしてた
普段は虫が嫌いで野宿とかも、うわっとか思うけど、
まじでそんなことを気にすることなく
何なら、バッタとかダンゴムシくらいなら、かわいいもんよねと思ってた
ただ、まじの大問題
芝生に蚊がえぐい多かった
この時期、蚊がすごいわ
寝よと思った芝生は、蚊がえぐい発生しており、
寝っ転がったら、耳もとに複数匹のプ〜〜ンという不快音
気にしないと思ってても、3分寝っ転がっただけで、5,6箇所刺されており、睡眠を断念
家が周りにあるからこそ、本当に仕切りがあることを羨ましいと思った
床でいいから、何もなくていいから、仕切りだけくれ
これに、普通に風呂とベッドがあって
安心して寝ていられる生活
毎日これにはいれる幸せたるや
これが当たり前になってて、本当によかったね現代
■ ご飯は偉大
途中から、ずっと熱中症だった
銭湯の前が一番重症で、
そこまで7時間くらいほぼ食べず、歩きっぱなしだったので、
水分も食料も取る気が失せており
夏で、外で歩いていて超暑いのに、
寒気がしてトリハダたってる、汗が出ない、みたいな
こんなギリギリの状態で、銭湯にはいって、
身体を温めて、初めてお腹が鳴った
で、やっとご飯をたべれる身体になった
ここまで追い詰めてしまったことに超反省した
びっくりしたのは、モノを食べて、ものすごく復活したこと
やっぱりエネルギーはすごい!偉大!
食べれる時に食べておかないと、だめ
そこからは、取り過ぎくらい、飲食して、多分やる前より太った気がする笑
■ マジで辛い時にチカラになるモノ
人の1人のチカラっていうのは、もろいな〜って思った
たぶん俺が1人で歩いていたら、30km地点くらいで断念していた
物理的に、相方が銭湯をみつけてくれて、
そこで復活した、とかそういう話はあるけど
そういうことじゃなくて
今回の旅は、インスタストーリーで過程を上げていっていた
そこで、色んな人から応援メッセージをもらった
言っちゃったし、中途半端なところで終われないな、
という見栄もあったけど、シンプルに応援メッセージをくれる温かさに
頑張ろって思えた
あとは、なにより相方がいたからここまで歩けた
・真鶴からのスタートも(スタート地点の変更)
・銭湯みつけてくれたのも
・GoogleMapみて道を調べてくれたのも
・道中、チャリとか気にして俺側に動いてくれたのも
Etc...
そんで、何より
一緒に歩いているその足取りで、引っ張ってもらった
ありがと
以上、書き残しでした
坂本竜馬が、土佐から江戸にかけて歩いたことから、
今回の旅は始まっているけど、
100~200年前の人間とは、
基礎体力もかなり違ってきているんだと思う
参勤交代もえぐい速度で歩いていたっぽいし
いろんなものの進化が、退化をさせている側面もあれど
日々の当たり前に感謝できるいい機会でした
■ 旅の過程(時間はざっくり)
7/14(日)
8:50 真鶴駅 スタート
19:45 銭湯 湯快爽快ちがさきで一次休憩&飯
21:15 出発
7/14(日)
1:00 途中の芝生で野宿
2:00 出発
4:00 途中の芝生で野宿しようとしたら、蚊がおおすぎて睡眠断念
6:30 70km地点で断念(東戸塚駅)
なにかを頑張る理由
色々したいことがある
やりたいことが多ければ多いほど、
他に目移りすればするほど、
基本的にはそれぞれが中途半端になる
そんな中で、一つのことを頑張るには、
自分を突き動かす、気がついたら時間が過ぎ去っているような
内側からの熱が必要だと
その熱を作り出すために、
脳みそを納得させることができる理由が必要で、
それを考えないとダメだ
と、思ってしまっていることが
一番問題だろ
これは、なんとなくココロで理解していたが、
やっぱりそうだ
熱が湧き出ているものは、
そのままその熱に乗っかって、やりたいだけマジでやったらいい
だけど、自然体でその熱を感じていないものへは、
その「やっていること自体」に、
ふつふつと湧き起こるような、サステナブルな熱は作り出せない
そこじゃない
フォーカスポイントが違う
「やっていること自体」ではなく、
それをやったことで「どうなるか?どう感じるか?」
もっと言えば、やってることは何でもいいから、どういうスタンスで生きていきたいか
僕の熱量は、
「どう人生楽しめるか?ワクワクできるか?」
というポイントが超大事で
そのワクワクは、特に
「自分の行動が、長く誰かのためになる」
ことに時間を使えていると、思える節がある
が、一旦この話ではここはおいておき
ベーススタンスとしては、
「自分を自分で認められる、かっこいい人であるか」
人からどう見られようとどうでもいいと胸張って言える、自尊心が超重要
これは広義だが、時代に合わせて、
自分のかっこいいの定義はかわるからそれでいい
いま思っているのは、
マジで取り組んだものは、すごい楽しい
結果がどうであれ、それをしている今を楽しめるくらいの度胸はある
自分が決めてやることなら、
どうせやるなら、やると決めたなら、
極論「それを頑張る理由」なんて、
個別個別で探してないで
それをマジでやっていることの自分のかっこよさ、幸福感
自然とニヤニヤしてしまうような楽しさ、余裕
それが、すでに「頑張る理由」になっているんじゃないか
2024.05.12
なぜ歯磨き粉を使うの?
プルデンシャルの生命保険に契約しているんだけど、
僕のライフプランナーから
「なぜ歯磨き粉を使うの?」
と、質問された
え、なぜ??使うもんでしょ!
と思いつつ、理由を口にだしてみてた
「虫歯になりたくないから」
「あ、そうなんだ。なんで?」
なんで??当たり前じゃん!笑
けど、さらに言葉にしてみる
「歯が痛くなりたくないから」
「そうなんだ!つまり、根本は、痛いのがいや、ということなんだね」
ここまで言われて、
なるほど!って思った
実際、歯磨き粉には、
幾つも種類がある
僕は勝手に「虫歯予防」のためと思っていたけど、
・口臭予防
・ホワイトニング
・知覚過敏の予防
いろんな効果効能があったみたい
「なんで?」
という質問に困るのは、
当たり前すぎて、理由無いと思い込んでるから
けど、そこには理由がある
「なんで?」で、無理やり言葉にしてみると、
いかに自分が無意識にコントロールされてるか、
狭められてるかが、わかるかもしれない
これが「ニードを引き出す」ということで、
ここからは営業力の話
自分の気が付かなかったニードを引き出してくれた場合、
その人からちょっと高くても、
虫歯に効く歯磨き粉を勧められたとしたら、僕は買ってる気がする
いろいろ知識を授けてくれた人を信頼して、
金を出すことは、全然ありえる動きかなと