僕はABEMAというメディアで働いている。
「メディアは何のために存在するのか」ふと思って、考えてみた。
僕の見解から、結論ファーストで。
メディアとは、「できる限り多くの視聴者の喜怒哀楽を刺激して、人々に力を与えるもの」
だ。
これを説明するには、
①メディアを通して見られる側
②メディアを見る側
の2点を説明する必要がある。
①メディアを通して見られる側
『夏の庭』っていう本がある。読書感想文のおすすめで知り、小学生の時に読んだ。
死にそうなおじいさんを、小学生3名が観察してて、それに気がついたおじいさんが、どんどん元気になっていく話。だったと思う。
これをMAX世界規模まで拡大したものが、見られる側のモチベーションとしてある。
本能的なもので、見られる、求められると頑張れる。
観る側は、それをどのような形であれ関心をもってしまっている。
勇気をもらえる、たのしい!というポジティブな感情から、ひどい!などの批判、ネガティブな感情を抱くことも含めてだ。
メディアはここをえぐるような、つつくような情報を、ドラマを、スポーツを、物理的には届けられないほどの多くの視聴者に提供できる。そのような座組を、TVなどのメディアはインフラを整えきっている。
メディアとは、ビジネスを成立させる観点だけでみると、
広告をつけるため、視聴率がとれる、視聴者が集まる情報を提供するもの、
とばかり考えていたが、
このモチベーションを、うまく吸い上げているからこそ、
広告がつき、ビジネスとして成り立っているのかもしれない。
(にわとりたまご、ではあるかもだけど)
信頼できるメディアだからこそ、広告を出稿する
反例として、YouTubeとか、信頼できないと判断すると、人がどれだけ集まっても、広告出稿を撤退している企業があるでしょ。
こう考えると、広告観点では、視聴数ももちろん大事けど、それ以上に大事なのは、信頼だ。
もっというと、見られる側は、これをとおして有名になりたい!
って思っているかもしれない。
スポーツなら、プロを目指すのは、TVで放送しているからという要因が絶対的に重要。
なぜなら、プロスポーツ選手を目指すモチベが、有名になりたい、モテたい、お金がほしい、だとして、
・有名になりたい
→メディアで取り上げられるから。TVとかでたくさんの人にみてもらいたい
・モテたい
→メディアで多くの人にみられるから、きらきらして、それに群がる人がでてくる。あと、アナウンサーとか、メディア舞台に立つ人自体がキラキラしてるから、その編と出会える可能性高まる
・お金ほしい
→球団がはらうが、球団側は、こいつがくればチームの勝率上がる、強くなったら、球場に来てくれる人多くなる。とか、思うから。ビジネスのコマといえばそれまでだが、強いひとに多くの年俸が支払われるのは、まさにそういうことでしょう。極論、勝率をあげるだけなら、ビジネスにならない。スポーツはビジネスだ。
球場に来る人が増えるのは、メディアで放送するからだ。そこで楽しそう!球場いってみよう!っていう流れだ。知るのは口コミか、メディアから。圧倒的に人を増やすのがメディアだ
つまり、全部、メディアが絡んでるんだ。
殺人で、ニュースになりたかった、有名になりたかった、とかはよく聞く話。
悪い例だけど、残念ながらこれもそう。
誰かに期待されるから頑張れる。
メディアがあるから、一層頑張れる。
見られる側のモチベーションはこれだろう。
②メディアを見る側
こっちはあまり説明する必要ないかな。
つまりは、皆さんだ。
みんな、ためになるから。とかってモチベでメディアは見ない。
たのしいから!とか、なんとなくみちゃう、興味惹かれる、って感じと思う。
メディアとは、信頼第一に、人の喜怒哀楽にふれる情報を届けること。
それが、
・日々のニュース
・時事的なこと
・凶悪なニュース
・スポーツのスター
・人気の音楽アーティスト
でも、なんでもそう。
メディアを通して、喜怒哀楽を刺激され、なんか見ちゃうんだ。
それがモチベだ。興味惹かれるのだ。
その要所をしっててメディアの作り手が番組を作っているから。
メディアとは、
「できる限り多くの視聴者の喜怒哀楽を刺激して、人々に力を与えるもの」
だ。 見る側も、見られる側へも力を与える。
参考: 「マスゴミ」という蔑称まで浸透。なぜ人はメディアの報道に偏りを感じるのか
https://agenda-note.com/customer/detail/id=3179&pno=3
参考:マスメディアは何を伝えるべきか:新型コロナの恐怖と希望を求める私たち:真逆編集に陥らずに
https://news.yahoo.co.jp/byline/usuimafumi/20200524-00180022/
あと、今回の話に親しいなとおもって、
個人的に、すごくじんわり来たので、載せます。↓