何のために働くのか?
こないだ大親友と話してて、
明確な答え、というか指針がでてきたから、
ここにも書いておく。
システマチックに整備されてしまっている現代、
「仕事」というものが、
独立した長い ”時期” のように捉えている人が多いように思える。
「幼稚園」→「小学生」→「中学生」→「高校生」→「大学生」→「仕事(社会人)」→「老後」
みたいな感じ。
でも、ふと考えてみると、
仕事とは、時期ではなく、
本来「生きる」ことと同義なんじゃないか。
紀元前?お金の定義がなかった時代
人類は、得意なことをして、それぞれが助け合って過ごしていたのだと思う。
泳ぎが得意な人は海で魚をとり、
パワーのある人は狩りをし、
細やかな作業が得意な人は衣類をつくっていたりして。
自分の得意なことが、人から求められ、
逆に、人の得意なことで手にいれたものを、
交換という形で、もらっていたはずだ。
特に、昔であれば、より顕著に、
人は一人では生きていけなかった(生き残る確率が低くなった)から、
自分が得意な領域で動く = 「働く」ことで、他人の「働き」で得た産物をもらい、
結果、自分の「生きる」につながっていた。
これが現代ではどうだろう
「仕事」=「お金」という捉え方が普遍的な考え方としてある。
(特に日本は、多いらしい)
これはマズローの5段階では、もっとも下の階層、
生存欲求クラス。低レベルといえる。
システマチックに区切られて、
エンドユーザー相手の顔が見えないなかでも、
違和感がなく仕事ができる時代だからこそ、
「仕事の報酬はお金」と言い切れるんだと思う。
ただ、ちょっと考えてみると、
そもそも、人様からお金をもらえる、ということは、
「その人の役にたっている」ということだ。
自分で経営できている人、
本当に人のためを想って仕事をしている人は、
お金をもらう、という行為にいやらしさはない。
その分、その人のためになっている自覚、自信があるからだ。
何のための対価かを、理解している。
「ただより高いものはない」
というのも、この辺から来ている価値観だと思う。
とにかく、現代のシステマチックなこの構造が、
仕事を無味無臭なものに仕立て上げているのだと思う。
仕事をする理由とは
ボクの究極の結論は「生きるため」だ。
そして、そのアプローチは、単なるお金ではなく、
誰かの役にたつために動く、「情けは人の為ならず(自分のためである)」精神だ。
「何のために仕事をする?」
と聞いたときに、生きるため、という回答は珍しくないと思う。
でも、ルートはいくつもあり、
例えば、
「仕事をする理由」→「お金を稼ぐため」→「つまり、生きるため」
「仕事をする理由」→「人の役にたつため」→「役にたった結果、お金がもらえ、なにより人とのつながりが生まれる」→「つまり、生きるため」
というニュアンスでも、
全然違うアプローチになる。
「お金」のためだけに仕事をしていると、
仕事量が増えてきたとき、人間関係が嫌になったとき、
ちょっとしたことで、仕事が辛くなってくる。
その仕事を頑張っても、頑張らなくても、
一定の固定給がもらえるからだ。
あなたが頑張る理由が「お金」のみであれば、
それは、他の仕事でも稼げるから、
目の前の仕事を頑張る理由がない。
あなたのやっている仕事は、
特に、サラリーマンで働いしてる場合は、
誰かの役に立っているはずだ。
人間は、他の人のために生きるとき、
幸せを感じるようにできているらしい。
辛いな...と想ったとき、
それが、他の人のためになっていることを、
改めて認識して、踏ん張ってみると、
あとちょっと、なにか頑張れるかもしれない。
それができないときは、
ダメ元でボクに連絡してみてください。
話だけなら聴きます。