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20代前半のうちに "考える" クセ付けとこう

『仕事の思想』2022年 ボクver

何のために働くのか?

こないだ大親友と話してて、

明確な答え、というか指針がでてきたから、

ここにも書いておく。

 

ステマチックに整備されてしまっている現代、

「仕事」というものが、

独立した長い ”時期” のように捉えている人が多いように思える。

 

「幼稚園」→「小学生」→「中学生」→「高校生」→「大学生」→「仕事(社会人)」→「老後」

 

みたいな感じ。

 

でも、ふと考えてみると、

仕事とは、時期ではなく、

本来「生きる」ことと同義なんじゃないか。

 

 

 

紀元前?お金の定義がなかった時代

人類は、得意なことをして、それぞれが助け合って過ごしていたのだと思う。

 

泳ぎが得意な人は海で魚をとり、

パワーのある人は狩りをし、

細やかな作業が得意な人は衣類をつくっていたりして。

 

自分の得意なことが、人から求められ、

逆に、人の得意なことで手にいれたものを、

交換という形で、もらっていたはずだ。

 

特に、昔であれば、より顕著に、

人は一人では生きていけなかった(生き残る確率が低くなった)から、

自分が得意な領域で動く = 「働く」ことで、他人の「働き」で得た産物をもらい、

結果、自分の「生きる」につながっていた。

 

 

 

これが現代ではどうだろう

「仕事」=「お金」という捉え方が普遍的な考え方としてある。

(特に日本は、多いらしい)

 

これはマズローの5段階では、もっとも下の階層、

生存欲求クラス。低レベルといえる。

 

ステマチックに区切られて、

エンドユーザー相手の顔が見えないなかでも、

違和感がなく仕事ができる時代だからこそ、

「仕事の報酬はお金」と言い切れるんだと思う。

 

 

ただ、ちょっと考えてみると、

そもそも、人様からお金をもらえる、ということは、

「その人の役にたっている」ということだ。

 

自分で経営できている人、

本当に人のためを想って仕事をしている人は、

お金をもらう、という行為にいやらしさはない。

 

その分、その人のためになっている自覚、自信があるからだ。

何のための対価かを、理解している。

 

「ただより高いものはない」

というのも、この辺から来ている価値観だと思う。

 

 

とにかく、現代のシステマチックなこの構造が、

仕事を無味無臭なものに仕立て上げているのだと思う。

 

 

 

仕事をする理由とは

ボクの究極の結論は「生きるため」だ。

 

そして、そのアプローチは、単なるお金ではなく、

誰かの役にたつために動く、「情けは人の為ならず(自分のためである)」精神だ。

 

 

「何のために仕事をする?」

と聞いたときに、生きるため、という回答は珍しくないと思う。

 

でも、ルートはいくつもあり、

例えば、

 

「仕事をする理由」→「お金を稼ぐため」→「つまり、生きるため」

 

「仕事をする理由」→「人の役にたつため」→「役にたった結果、お金がもらえ、なにより人とのつながりが生まれる」→「つまり、生きるため」

 

というニュアンスでも、

全然違うアプローチになる。

 

 

「お金」のためだけに仕事をしていると、

仕事量が増えてきたとき、人間関係が嫌になったとき、

ちょっとしたことで、仕事が辛くなってくる。

 

その仕事を頑張っても、頑張らなくても、

一定の固定給がもらえるからだ。

 

あなたが頑張る理由が「お金」のみであれば、

それは、他の仕事でも稼げるから、

目の前の仕事を頑張る理由がない。

 

 

あなたのやっている仕事は、

特に、サラリーマンで働いしてる場合は、

誰かの役に立っているはずだ。

 

人間は、他の人のために生きるとき、

幸せを感じるようにできているらしい。

 

辛いな...と想ったとき、

それが、他の人のためになっていることを、

改めて認識して、踏ん張ってみると、

あとちょっと、なにか頑張れるかもしれない。

 

 

それができないときは、

ダメ元でボクに連絡してみてください。

話だけなら聴きます。

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