① このブログのテーマは「幸せとはなにか」
思考の整理に時間をかけたGW期間だった。
半年前はいろんなことを考えていたんだけど、
そんなことも考えられなく成る足元の多忙で、
おわれっぱなしの21年 3~4月。
そこで、改めて、
・自分は何のために働いているのか
・したいことは何か
・自分にとって、幸せとはなにか
あたりを考えている。
② 人間に生きる意味が無いなら、楽しく暮らしたほうがいい
たまたま本屋で、
ひろゆきさんの『1%の努力』を手にとった。
冒頭にあった内容に、「たーしかに」って思って、
Kindleじゃなくて実物の本で、久しぶりに購入。
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人生に生きる意味は存在しないと考えている。
虫や細菌に生きる意味がないのと一緒で、
地球上の生物は地球上の熱循環システム上の一部としての機能を果たしているだけだ。
ただ、そう考えることで、
「じゃあ死ぬまでにできるだけ楽しく暮らすほうがいい」と思うことができる。
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違いない。
人は、思考ができるあまり、自分を特別視しすぎだと思う。
生まれたからには、なにか成し遂げないと、とふわふわしながら漠然たる何かに焦ったり、
あまり守るものも無いのに、保守的になりすぎたりしている。
「僕の視点」から見れば、身の回りで亡くなる人がいれば悲しい。
ただ、「宇宙視点」で見れば、僕が生きることに、価値はない。
(この考え方は、極論であり危険な面もあると思うものの)
ただ、重要なのはそこじゃなくて、その後。
「だったら、楽しく暮らそう」の方だ。
③ 今までは幸せに暮らせて無いの?
社会人になって、この「問」に全く回答できない生活をしている。
いまの自分を逆に誇らしく思う…笑
「なんでそんな暮らし方ができるんですか」
答えは簡単で、特になにも思考してこずにきた、
搾取される側だからだ。僕はゆでガエルだ。
カエルを熱湯にいれれば、逃げるが、
水に入れておいて、そのままぐつぐつすれば、
そのまま気が付かずに茹でられる。
そもそも、大学生までは、
自分にとってなにが幸せか、なんて
考えることがないくらい自由に暮らしてきた人生だった。
中高の部活/バンド、大学生のインターン/バイト/サークル/遊び、社会人と、
与えられた環境の中で、頑張る力はついていったが、
「おれはこれがやりたいんだ!」って、現状の環境を飛び出したことは一度もなかった。
安定のいいこちゃんだ。
不満を感じなかったから、それが悪いことではない。
ただ、いまは違う。
現状の生き方に不満がある。
この先、今の生き方はできない/したくない、っていう感覚を持っている。
ただ、このゆでガエル社会は、
ゆでがまを出るにも、明確な理由が必要らしい。
だから、ここに明確な理由を作ろう。
テーマは「僕にとっての幸せとは何か」だ。
④ 幸せの総量を増やす暮らし方って、どんな暮らし方?
これが本題だ。
僕にとっての幸せを追い求める生き方をしよう。
いろいろ考えているから、
わりと輪郭は見えていきている。
▼幸せキーワード
・自分でなにか成し遂げる、というよりも、人が成し遂げたいことをサポートしたい
・時間をかけた、その人のためになっているという貢献度が高いこと
・自由に使える時間/お金のコントロールは自分で行える環境
・時間に余裕を持っている(休日あり、平日も20時には仕事を終えて自分のしたいことに時間を使える状況)
・お金は大事
・風通しの良い人間関係
・妻 / 家庭 / 生まれてくる子供には時間をかけたい
・音楽に関われたら、ちょいテンション上がる
・楽しいことが好きだ
▼反面教師 キーワード MEMO
・頑張ればなんとかなる、は思考停止
という感じ。
前からそうだっだのだが、自分のことは副リーダー気質だと思ってる。
明確に「これがやりたい!成し遂げたい!」というものが無いからこそ、
俯瞰的な視点で、リーダーのサポートや、メンバーの相談にのったり、みたいな
「最強のNo2」が、もっともかっこいいポジションで、おいしいポジションだと思ってる。
ちょい脱線したが、つまり自分の生まれた意味は、
「何を創り出して、のこしていくか」ではなく、
「他人の創り出すものに、どれだけ貢献できるか」に実感できる。
(黒子のバスケなら、あかし君)
わかりやすいところで言うと、
例えば、自分が開いた飲み会で、 カップルができ、
その2人が結婚して 幸せに暮らす。とか。
これは僕の中で貢献度が高い。
なぜなら、僕がいたことで、
その男女にとっての人生のプラスを大きく生み出した、と思えるから。
(離婚とかしたら、それも含めプラスでしょ。人生=経験)
目の前でわかりやすく「ありがとう」とかは言われなくてもいいんだけど、
それを自分自身で実感したいんだろうな。
それをやっている自分に、生きる意味があるな、と満足できる。
そんな感覚。
⑤ 他人の幸せのために行動すること
でもよく、「 他人のために頑張りたい」とか言うと、
「なんで?」とか「それを君がやらないと行けない理由は?」とか
言ってくる人がいる。
わからん、だって、そこに多幸感を前から感じるねん、
けど、そこに原体験とか、明確な理由がないとだめなのかなぁ、、って思ってた。
けど、そもそも人間は、
「自分に何らかのコスト(時間、労力、お金、など)を負いながら他者に利益を与える行動」
をとると、幸せを感じるらしい!
参考:他人の幸せの為に行動すると、幸せになれるのか?―利他的行動の幸福度への影響の実験による検証―
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=67315?pno=2&site=nli
なんだよ。やっぱそうかい。
赤ん坊の時から、そうらしいから、間違いない。
なら、やっぱり、自分のためには、
他人に人生レベルで大きく貢献できていることを全力でしたくなるよ。
⑥ 他人の前に、まずは自分が幸せに
ただ、ここで順番を間違えちゃいけないのは、
「幸せを実感できてない人が、いくら他人の幸せに貢献をしようとしたって、そこに説得力はない」
こと。
だから、まずは自分が幸せになること。
僕のポイントは以下。
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・家庭:妻との良好/健全な関係があってこその生活
・お金:生活費 + 後輩の飯を躊躇なくおごり、妻がほしい服を買え、自分がポーカーに使うお金くらいはすっと出せる+α分は稼ぐ
・時間:休日あり、平日も20時には仕事を終えて自分のしたいことに時間を使える状況、ゆくゆくは平日の時間もコントロールする
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これを実現させるために、今の環境は、
作り変えていかねばならない。
いまが最も若い。
いま行動しないと、いつ行動できる?
⑦ 結局最後は、勢い
色々考えるが、やっぱり自分のしたいことをしたい。
今の会社に恩義を感じていても、それと自分の気持ちを天秤にかけ、自分の気持ちが上回るなら、
結局はやる気もなくなっていき、迷惑をかけることになるんだから、双方不幸になる。
一歩踏み出すことが、成功か失敗か、は、
そこで自分がつくっていくことに他ならない。
厳しい状況になるかもしれないし。
それはやってみないとわからない。
だから、動いて見るほか、道はない。
直感が感じていることに、論理を持ち込まない方が良い時もある。